廣嶋雑記

広島のあれこれ

広島県から鳥取県へのドライブ

県境越えドライブ

国道54号線から国道186号線を生山駅へ

今まで広島県から直接、鳥取県へ行ったことがなかったので、ドライブがてら松本清張の「父系の指」や「半生の記」に出てくる、県境に位置する鳥取県日野郡日南町矢戸へ行ってきました。

 

或る「小倉日記」伝 傑作短編集1 (新潮文庫)

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現在、この短編集に収められている「父系の指」で松本清張は、広島駅から芸備線、伯備線を乗り継いで生山(しょうやま)駅で降り、バスに乗り換えて矢戸へ向かいましたが、今回は県境越えが目的なので車で行きました。

広島駅から日南町までは片道150km、一般道だと3時間はかかります。

国道54号線経由だと安芸高田市に入る上根峠までは太田川を遡り、峠を越えると三次市まで江の川の流れが下り、次に三次市から庄原市まで西城川を遡行し、鳥取県日南町に入ると日野川が下りに変わる、と川の流れる向きが交互に変わります。

何度も流れの向きが変わる川を所々で眺めながら広島駅から国道54号線を三次市へ、さらに庄原市を経由して国道183号線で県境を越えて日南町へ入りました。

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山あいの県境が標高750mと高いので、登り坂を上がるにつれて外気が冷たくなり、車内でも少し肌寒く感じました。
庄原から県境までは、手前にスキー場があるので道路がよく整備されていて道幅は広く、カーブが無いのですが、日南町へ下るカーブはかなり急です。
林業が盛んなのでしょうか、よく手入れされた針葉樹が整然と並んでいます。
この季節は所々混じっている広葉樹の新緑も美しく、静謐でした。

下の写真の右手に日野川が流れていて、点在する民家は立派な造りの家が多かったです。

平成時代までクロムを産出する若松鉱山が稼働していたそうで、中山間地域とはいえ富裕な町だったようです。

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生山駅まで行き、辺りを見物していたら、ちょうど特急やくもが到着しました。
駅に向かって右手の山には、中国の水墨画のような灰色の岩肌が見えていました。

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松本清張と井上靖

駅前の案内板を見ると、作家の井上靖の家族がかつて疎開していたという場所に井上靖記念館、野分の館があり、こちらを先に訪れてみたら無人で、外観を見物するに留めました。
井上靖本人が日南町で暮らしたことはなかったのですが、こちらに疎開していた家族のもとを何度も訪れていたそうです。

この記念館に向かう途中に、石霞渓があり、川には巨大な岩が幾つもありましたが付近の道路に駐車できる場所がないので、どこか離れた所に車を停めて徒歩で見にいくしかなさそうでした。

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井上靖は松本清張に、勤務先を退職して作家に専念するよう助言したらしいですが、その後、親しく交流するには至らなかったようです。

しかし、奇しくも二人とも日南町に所縁があるのです。
井上が清張より2歳年長で、両者とも新聞社勤務を経てほぼ同じ年齢の時に作家専業となり、没年も1年違いと、生きた時代がぴたりと重なっているのですが、松本清張は高等小学校卒、井上靖は京大卒という学歴の違いからか、誼を通じることは無かったようです。

そもそも松本清張は最初に印刷所で、次いで新聞社で長く印刷デザインに携わっていたという特異な経歴のせいか、あまり文壇での交流はなかったそうです。


井上靖の方は幼くして母親と引き離されて成長し、松本清張は貧しいなりに両親の元で溺愛されて成長していることも、両者の隔たりの原因だったのかもしれません。

松本清張は一人っ子だったため結婚後も両親と同居し、すぐに子どもに恵まれて家族8人の大所帯だったのです。

無事に復員して家族の元に帰った時、大所帯ながら窮屈な狭い部屋での暮らしを人間地獄、と描写しています。

子ども達がまだ幼く、さぞかし賑やかな時期だったでしょうから、一人っ子だった清張にとってそんな状態には免疫がなかったのだと思います。


松本清張とよく比較される司馬遼太郎の方が井上靖と交流があったのは、司馬の開放的な性格によるのでしょうか。
3者とも歴史小説を書いているのでつい、同じカテゴリーで括りがちですが、作家間の交流という面で見ると、決して同じグループとはいえないようです。

松本清張文学碑

井上靖記念館に寄った後、松本清張の父の実家があった矢戸へ行くと、松本清張文学碑がありました。

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この文学碑の前の信号が、国道9号線に繋がる県道9号線の終点だったのは驚きでした。

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上の写真の正面が県道9号線で、島根県の安来で国道9号線に繋がり、松江、益田を経由して山口県の新幹線駅、新山口駅に至ります。

安来から益田まで海岸線を走るので、タイミング次第では美しい夕陽を眺めることができます。

 

広島県の備後落合駅は、芸備線と連絡している木次線の乗換駅でもあって、終点の島根県の松江駅まで北上する途中に島根県の亀嵩駅はあります。

また備後落合駅から芸備線でさらに東へ向かうと岡山県の備中神代駅があり、そこから伯備線に乗り換えれば鳥取県の生山駅に着きます。

日南町周辺は、鳥取県、岡山県、広島県、島根県の県境が接しているので、列車に乗っているだけで知らないうちに4県走破できそうです。

ただし木次線は広島県の駅が、伯備線は岡山県の駅が起点になるので、広島県から直接鳥取県へ行くには、車でしか行けません。

 

そして、清張にならって広島駅から芸備線で備後落合駅まで行くのは、2019年秋以降にしないと、一部区間が2018年7月の豪雨被害にともなう復旧、線路強化工事中なのでご注意ください。

 亀嵩駅

伯備線の終点駅のある米子にあった清張の父親、峯太郎の養家に、その母が離れて暮らす我が子が不自由のないよう衣類や下駄など身の回りの物を届けていたそうですが、鉄道のなかった時代、日南町から片道40km以上の道のりを苦にもせず、峰太郎が6歳になる頃までしばしば訪れていたそうです。

そしてまた、この日南町から島根県との県境を越えた30km先に、木次線の亀嵩駅があるのです。

 

清張が矢戸を訪れる前の晩に泊まった、備後落合の駅前の宿で隣の部屋だった夫婦の会話が、東北訛りの奥出雲の方言だったと「父系の指」に書かれています。

おそらくこの夫婦は翌日、木次線で亀嵩辺りへ帰って行ったのかもしれません。

清張の代表作「砂の器」で被害者と犯人の接点があった場所で、中国地方唯一の東北訛りの方言が残る亀嵩は、清張が折々思い出していた父親の故郷からさほど離れていないのでした。

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