廣嶋雑記

広島のあれこれ

広島と縁のある松本清張

松本清張と広島

松本清張生誕110周年

 2019年は松本清張生誕110周年ということで「砂の器」のリメイク版テレビドラマが放映されました。

砂の器(上) (新潮文庫)

砂の器(下) (新潮文庫)

今年のリメイク版、最後は原作に近い終わり方だったのではないでしょうか。
主人公が新進気鋭の前衛音楽家として名声を得て、大物政治家の令嬢と婚約し、結婚前にさらに経歴に箔をつけようとアメリカへ公演のため渡航しようとする、まさに人生の頂点に立った絢爛たるその瞬間、犯罪を暴かれて警察への同行を求められ、一気に暗転する原作の劇的な幕切れは、いつまで経っても記憶に残っています。
空港で大勢の見送り客がどよもした後、まばゆい照明の中で飛行機に乗るはずの主人公は一向に現れず、異常に気づいた人々に向けて、主人公が急用で搭乗できなくなったというアナウンスだけが虚しく響く場面は、視覚的であるだけに非常に強い印象を受けました。
実際、この最後の場面の構想については、連載当時の挿絵担当者とともに3日かけて羽田空港で取材したしたそうなので、清張の多数の作品群の中でも名場面の一つと言えるのではないでしょうか。
また主人公が姿を現さないまま、美しい音楽のようなアナウンスが響く場面の描写だけで作品が完結する点に、清張が印刷デザインに長く携わっていたことから得られた、視覚効果が活かされているように思いました。
主人公が音楽家なので、最後のアナウンスを音楽に喩えているのは、まさに通奏低音なのでしょうか。
 

 広島生まれだった清張

 松本清張はかつて小倉生まれといわれていましたが、実際は広島で生まれ、その後移り住んだ小倉で出生届が出されたようです。 
清張のお父さんは鳥取県日野郡日南町出身、お母さんは広島県東広島市出身で、清張が生まれた当時、一家は広島市在住で、その後、小倉に移ったということです。
清張のお父さんは日南町で生まれたあと直ぐ米子へ養子に出されたのですが、この日南町は、広島県との県境にあります。
広島県は中国地方の真ん中に位置しているので、他の4県と全て県境を接しています。
広島県から鳥取県へ直接連絡している鉄道がないことや、日南町へ観光に行ったことがないため日頃は特に意識することがなく、実際に県境を接していることは最近になって認識しましたが。
 
清張の母親の方の出身地は東広島市で、清張が後年、訪ねた時には実家は既になくなっていたそうで、畔道に座り、頬杖をついてぼんやり辺りを眺めている写真を見たことがあります。
 
生まれは広島でも、1歳にならないうちに小倉へ移った後、成人するまで小倉や下関で育っているので、広島に関しては両親の思い出話くらいの知識しかなかったと思います。

「渡された場面」

渡された場面 (新潮文庫)

「渡された場面」の中で、林芙美子の放浪記で交わされる尾道での会話は実際は九州弁混じりの広島弁だった、と細かく描写をしているのは、清張自身が九州で広島弁を話す母親に育てられた生い立ちの投影と思われます。
作中に登場する被害者の若い女性は、自分が話す方言と住んでいる街の風景に、自身と林芙美子の共通点を見出して親近感を覚えていますが、ここにも清張自身の記憶を重ねています。
この作品は読みやすい「けものみち」などと比べると、ページ数が少ないにも関わらず、読み終えるまでに時間がかかりました。
四国と九州で相前後して起きた接点などないはずの二つの事件が主題で、登場人物が多く場面転換が頻繁になされ、文学青年の犯人とかつて文学青年だった捜査側の警察官や、二つの事件を繋ぐことになったものの、九州の事件発生直前に亡くなった作家の描写が緻密で、なおかつ清張自身の文学観も投影されており、どちらの事件現場の描写も詳細で、非常に複雑な構成の作品です。
最後は九州の現場の地図まで見ながら読む羽目になりました。

「半生の記」

半生の記 (新潮文庫)

「半生の記」に、清張は復員してから、戦争直後の混乱期にようやくみつけた借家を掃除しようにも箒すら手に入らない物資不足の中、家族の疎開先の佐賀で箒の材料の藁が大量に農家の軒に積まれていたことに気づき、勤務先の制度を利用して小倉や広島、京阪神の小売店や荒物問屋などに佐賀で生産された藁箒を卸していました。
自身が箒すら手に入れられなかったことがきっかけで、一家8人を養うために本業勤めのかたわら箒の仲買を始めたのは持ち前の洞察力ゆえ、さらに父親が色々な商売に手を出していたのを見ながら育つうち、商売のコツも掴んだのではないでしょうか。
作中で「広島は私に因縁の深い土地だ。」と述べられています。
また続けて、物心ついてからは一度も訪れたことのない広島へ、終戦の翌年、37歳の頃に小倉から箒の納品先を探すため足を延ばした様子が綴られています。
広島に箒を売りに行ったとき「こねえなものでも無いよりはましよのう」(こんな質の良くない物でも無いよりはましだろう)、「なんぼするんなら」(値段はいくらなのか)などと雑貨問屋の主人が喋る様子が描かれていますが、その広島言葉も懐かしかったと、述べています。
聞きなれている母親の広島弁や、思い出話に出てくる地名の記憶があるので、初めて訪れたも同然の土地でありながら親近感を覚えている様子です。
この「半生の記」で描写されている両親との会話は、広島弁や鳥取県日野郡日南町の方言で書かれていて、特に広島県民と鳥取県民には親しみが湧くのではないでしょうか。

 

母親から聞かされていた猿猴橋(この猿猴とはカッパを指す)や、八丁堀、比治山、宇品、似島と、現在と変わらない地名が原爆投下後の荒廃した風景の中に出てきます。
 
 ちなみにここに出てくる宇品では2009年の生誕100周年を機に、2010年4月に宇品の広島市郷土資料館で松本清張展が開催されました。
 

「駅路」

駅路 傑作短編集6 (新潮文庫)

 「駅路」では広島市北部の可部が出てきますが、描かれている街の印象は今も当時とあまり変わらないように思います。
この可部は母親の実家の辺りと古くから道路で繋がっていて、おそらく母親から町の様子を聞かされた記憶があったために小説の舞台になったのかもしれません。
 
清張自身は一度も暮らしたことがないのに、色々な作品に街そのものの本質を突くような描写があるのは、生来の鋭い観察眼があればこそなのでしょう。
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