廣嶋雑記

広島のあれこれ

開館51周年の広島県立美術館

 開館51周年の広島県立美術館

千足伸行館長

今年で開館51周年を迎えた広島県立美術館の千足伸行館長は成城大学名誉教授でもあり、世紀末芸術の研究で知られているので、クリムトがテーマの時はNHKの日曜美術館に何度も出演されています。
クリムトはジャポニスムが流行した時代のウィーンの画家で、日本の琳派から影響を受けたといわれています。
確かに金を多用する点やデフォルメ、デザイン化の点で共通性があるように思います。

 

クリムトの作品としては、ちょっと地味ですが、哲学者のルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの姉の肖像画の「マルガレーテ・ストンボロー=ヴィトゲンシュタインの肖像」が好きです。
弟のルートヴィヒとよく似ている面差しが白いドレスに映え、背景がクレーに少し似ています。

クレーの方が20歳近く若いので、クリムトの影響をクレーが受けたのでしょうか。
ヴィトゲンシュタイン姉弟の父親は富豪だったので、クリムトを支援していたそうで、もう1人の姉の肖像画があります。
そしてクリムトの直接の死因がスペイン風邪、インフルエンザとは、現在、新型インフルエンザのパンデミックが危惧されているだけに、身につまされます。

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https://www.hpam.jp/

 

2018年の開館50周年

広島県立美術館は2018年に開館50周年を迎え、ブリューゲル展が開催されました。
大理石板に直接描かれた色々な種類の蝶や蛾の作品は、滑らかな石面にどうやって絵の具を定着させているのか、未だに手法が解明されていないそうです。

古代、中世の技術で製作された遺物の中には、現代の最先端技術をもってしても再現できないものが見られます。

非常に小さな金の粒で装飾を施した古代遊牧民族の金細工製品や、世界に3点(すべて日本にある)しか残っていない曜変天目茶碗など、現代では思いもよらない製法や、既に枯渇してしまった原料を使っていたとしか考えられない未解明の技術は色々あるようです。

先日、液体のりの成分で、白血病の治療に使われる造血幹細胞を効率的に培養できるというニュースもありました。

研究が進めば、ひょんなことから解明できるのかもしれません。 

館長対談

2018年12月の広島県立美術館開館50周年記念講演では千足館長が、岡山県倉敷市の大原美術館の高階秀爾館長と対談されました。
高階館長は東京の元国立西洋美術館館長でもあります。
私も含め、西洋美術が好きな人には垂涎の対談だったのではないでしょうか。


このお二方は、国立西洋美術館で一緒に勤務されていた時期があったそうです。
高階館長の妹さんが、同じテレビ局で働いている千足館長のことを話されたのがきっかけだったということです。
高階館長は千足館長より8歳年長で、東大の同窓です。
それまで何度か聴いていた千足館長の闊達な講演とは打って変わって、泰斗の高階館長との対談ということで少々緊張されていたようでした。
千足館長ご自身、高名な美術評論家なのですが。


大原美術館は言わずと知れた日本有数の美術館で、国内唯一のエル・グレコやゴーギャン、ルノワール、セガンティー二が収蔵されています。
その収集にまつわるお話などをされました。
お二人に所縁のある国立西洋美術館の松方コレクションは、実業家、大原孫三郎の同意を得て画家の小島寅次郎が収集した作品をフランスから日本に発送し終えた後、少し遅れて送ろうとしたところ、ちょうどフランスの課税制度が改正されてしまって税負担が重くなり、しかたなく現地に留めておいたところ、第二次世界大戦末期に接収の憂き目に遭ったそうです。

数ヶ月の違いが、大きな隔たりになってしまったのでした。
高階館長が、松方コレクションにも大原美術館自体にもご縁があるのは、ご自身のご希望があったからなのでしょうか。


昔、国立西洋美術館で松方コレクションを観た時に、主要な作品はフランス政府に接収されたと知り、てっきり日本にあった作品が持ち出されたのかと思っていたのですが、そもそも日本に来ていなかったのですね。
ちょうど今年、2019年6月11日から9月23日まで、東京の国立西洋美術館で松方コレクション展が開催中ということです。 

大原美術館の甲骨文字

大原美術館に行った時、エル・グレコを見ることは出来たのですが、お目当てのセガンティーニは他へ貸出し中で無念でした。
が、東洋館で古代中国の実物の甲骨文を見ることができて、感動しました。

宮城谷昌光の「太公望」に描写されているように、当時の狩とは、動物ではなく異民族を襲撃して捕虜にしたという意味もあり、多数の捕虜を生贄に捧げたことが、商(殷)の遺跡の発掘調査で明らかになっています。

大原美術館の甲骨に、その狩をして神意に叶う数を占う文字が刻まれていたのです。

最初の占いでは神意を得られず、二度三度と繰り返したと記されています。

占いですから当たるも八卦当たらぬも八卦、やはり当たらなかった甲骨は多かったようで、そのほとんどが廃棄されていることもあり、現在残っているものは極めて貴重ということになります。

宮城谷昌光の古代中国をテーマにした作品は、人物描写はもちろん、当時の社会の様子が生き生きと描かれていて、つい一気読みをしてしまいます。 

太公望 上 (文春文庫)

太公望 中 (文春文庫)

太公望 下 (文春文庫)

伝説だった殷(商)王朝

司馬遷の「史記」に記された殷(商)最後の紂王は、酒池肉林や妲己を寵愛したことで有名な暴虐な悪王だと記述されていますが、最近の研究では長身かつ眉目秀麗であって、代々の王同様に先祖を篤く祀っていたものの、自分の代で人間の生贄はとり止めたことが分かってきているそうです。

紂王には遠征計画があったので、奴隷としていた捕虜を生贄にするのではなく、兵力として活用しようとしたのかもしれません。

周軍と対戦した時、圧倒的多数の兵数だったにもかかわらず、そのほとんどが奴隷兵であったため多くが戦線離脱して殷(商)の軍は総崩れとなり、紂王は宮殿に戻ると自ら火を放って落命します。

まさに歴史は繰り返す、で、後に後漢を建てた劉邦と覇権を争った項羽の四面楚歌を想起します。

殷周革命とは、この紂王、帝辛の殷(商)を、太公望らの補佐により武王が倒して新たに周王朝を建てた王朝交替とされています。
そして「史記」に最古の王朝として記されている夏とその次の殷(商)は、発掘調査が行われる以前は実在しない神話上の王朝と考えられていたそうですが、少なくとも殷(商)は存在が確認され、「史記」にある代々十干を名乗ったの殷王の名前が正確だったことが分かっています。

殷(商)では10種類の太陽が毎日一つずつ昇るとされ、その太陽の種類を十干といい、一巡する10日間を旬と呼び、現代の上旬、中旬、下旬として今に残っています。

殷(商)の人々は国が滅びた後、各地を転々として品物を売り買いしながら暮らしていたので、商売をする人を、商人と呼んだという説があります。

三星堆遺跡

時代をさらに遡るのですが、三星堆遺跡が発掘され多数の青銅製品が出土して、黄河文明とは別に長江文明が繁栄していたことが明らかになりました。
瞳の部分が長く突き出た独特の青銅縦目仮面や、長い棒を両手で捧げ持つ人物像などが出土しています。
この三星堆の展覧会は昔、広島県立美術館でも開催されました。
少数民族の一つ、イ族の中には、現代に至るまで人里から隔絶した大涼山の集落で独自の文化を維持する集団があり、その祭祀の時の唄に出てくる地名を辿ると長江文明が栄えた地域に至るため、生き残った子孫ではないかと考えられているそうです。
新たな発掘調査により考古学の研究が進んできて、以前の史料頼みの定説が覆されることも少なくないようです。 

広島県立美術館の展覧会

 広島県立美術館の代表作品としては、ダリやマルグリット、一旦輸出されたものの里帰りした柿右衛門の他、広島県ゆかりの奥田元宋や丸木位里夫妻、児玉希望の日本画も多数収蔵されています。
平櫛田中の木彫作品もおすすめです。

日本伝統工芸展は毎年開催されています。

絵画展ばかりでなく2018年のジブリ展など、趣向を凝らした特別展もあります。

特別展開催に合わせて千足館長の講演があることが多いので、チェックは常に怠りません。

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広島県立美術館は隣接している縮景園と連携しているので、美術展を観た後、割引入場券を買えば美術館から直接、庭園へ出られます。

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1階に縮景園に面していて眺めの良いイタリアンレストランがあります。

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